著者情報
佐藤文彦
Basical Health産業医事務所/ベーシカルヘルス株式会社代表
医師であり、順天堂大学病院系列での勤務経歴があります。代謝内分泌・糖尿病を専門としています。
概要
著者の順天堂大学付属静岡病院における数年に及ぶコーチングを活かした経験から、組織マネジメントや「医師の働き方改革」への対応についてコーチングの効果や具体例について述べられています。
本書は大きく3部の内容になっています。
・コーチングスキル
・病院におけるコーチングを用いた事例
・コーチングによる医師の原働き方改革
コーチングスキル
コーチングとは何でしょう?
「コーチングとは対話を重ねることを通して、クライアントが目標達成に必要なスキルや知識、考え方を備え、行動することを支援するプロセス」(『この一冊ですべてわかる新盤コーチングの基本』(コーチ・エイ著、発行・日本実業出版社2019))と定義されています。
クライアントはコーチングの対象者になりますが、例えば外部の業者から院長がコーチングを受ける場合は院長がクライアントになります。院長が病院職員にコーチングを行うのであれば病院職員がクライアントとなります。
似たような概念で、カウンセリングやティーチング、コンサルティングというものがありますが、これらは図のような関係に当たります。
コーチングで病院が変わった 目に見えない道具で「医師の働き方改革」は進化する 佐藤文彦著 ディスカバー 図4-1 コミュニケーションによる違い より引用
自己効力感を引き出す
自己効力感とは目標を達成するための能力を自分自身が持っていると認識すること「自分の能力を信じる気持ち」を意味します。
コーチングでは対象者の自己効力感を引き出すためのアプローチを行います。
コーチングは対象者が主役となり未来の目標を達成していくための支援になり、そのために対象者に質問を投げかけることで、対象者からのアイデアを引き出し、対象者の頭の中にもやもやしているものを言語化させていきます。
聞く側(コーチ)は対象者が言語化したアイデアを承認します。
対象者は人から言われたことではなく、自らのアイデアを実行することで成果につなげます。
その成果により対象者は自信をつけ自己効力感を得て、さらに積極的なチャレンジを行っていく好循環が生まれます。
心理的安全性
コーチングを行うにあたり大前提となるのは「心理的安全性」になります。
【本記事著者より一言】
心理的安全性はGoogleの研究により明らかになり、近年では組織マネジメントにおいてよく聞かれる言葉です。
心理的安全性とは、組織のメンバーが不安や恐怖を抱くことなく、自由に意見や疑問を伝えられる状態を指します。心理学用語の「サイコロジカルセーフティ(psychological safety)」を和訳した言葉で、ビジネスにおいては「職場で誰に何を言ったとしても、人間関係が壊れることなく、罰を受ける心配もない状況」を意味します。
心理的安全性が確保された状態(守秘義務、人事評価とは無関係、人格的な否定派されないなど)でないと、質問をしても対象者から心の中にある回答が得られず、コーチングの意味がなされません。
ゼロポジションで傾聴する
コーチングを行う上で重要なこととして、話を聞いている中で「これは違うだろう」と思ったことがあっても、最期まで対象者の話しを聞くことがあります。
聞く側(コーチ)はあくまでゼロポジション(ニュートラル)な状況で話を聞くことが求められます。あくまでコーチングを行っている時間は対象者のための時間となります。
コーチは支援者であり、対象者との間に上限関係はなく、対象者が目標に向かって進んでいくための共同作業をしているのだと姿勢を忘れずに対話を重ねましょう。
そのために、相手がたくさん話すことができる環境づくりを心がけます。
時には沈黙もありますが、相手が沈黙している時間は考えを深めたりアイデアを考えている時間としてい重要です。
【本記事著者より一言】
「もし何の制限もないとしたら何をやりたいですか?」
本書では傾聴を行う中で、質問の例が挙げられていますが、この質問はとても興味深く感じました。
この質問を投げかけることにより、「本質的に何をやりたいのか」を考え始めることができます。様々な制約を前提としがちなため、あーでもない、こーでもない、ともやもやしながら考えるよりも、思いもよらぬアイデアが出てくるということです。
病院でのコーチング事例
本書では多くの病院におけるコーチングの成功事例が記されています。
これは多くの病院やクリニックの院長にとって役立つものと思われます。
職員の待遇改善をするよりも離職率や医療トラブルに効果が出た
名古屋第二赤十字病院の事例です。
2007年に院長に就任した石川清先生は、高いモチベーションを持った職員がやりがい・働きがいをもてる職場になれば医療の質は高まることを考え職員満足度の向上を目指しました。
そこで、福利厚生の充実や職員表彰制度、職員旅行などのの施策を展開しました。
しかし、いくら職員の待遇を改善しても医療トラブルや看護師の離職率は下がらなかったようです。
とくに、離職率は看護職のリーダーによって大きく差があったため、リーダーの在り方、職場での人間関係など日常の仕事のやりがいが重要なのかもしれないと考えるようになりました。
そこで、コーチングを組織風土とするために、最初は院長、副院長、看護部長などを中心にスタートし、次に選抜した職員というように広げていき最終的には450人(全職員の約1/4)がコーチングに関わりました。
結果としては、定期的に実施している職員満足度調査ではコーチングを学んだリーダーとそうでないリーダーとでは前者の方が明らかに職員満足度が高くなりました。
そして、医療トラブルの件数が減少しました。医療トラブルの多くはコミュニケーション不足によっておこるとされており、コーチングを通してコミュニケーション不足が改善されたと考えられました。
コーチングを通して職員のアカウンタビリティ(主体性)が高まり、不測の事態(多剤耐性菌の院内感染やコロナなど)への対応力が高まったことも記されています。
ビジョンの設定と共有により職員を同じ方向に向かせ、心理的安全性を提供しコーチングを行うことで職員一人一人が物事を主体的に考え行動できるようになり、結果的に職員のエンゲージメントが高まったという好事例です。
コーチングによる医師の働き方改革
本著者の順天堂大学付属静岡病院の糖尿病・内分泌内科の診療科長としての経験が記されています。
著者は糖尿病の患者さんへの行動変容のためにコーチングを学び始めましたが、元々コーチングには部下を対象とした課題が多く合ったため、医局内の部下である医師に対してコーチングを試し始めました。
1on1のヒアリングを重ねるうちに心理的安全性をもってもらえるようになった手ごたえを感じるようになり、医局員の業務の課題についても明確になりました。最も大きな課題は時間外勤務の多さでした。
著者は時間外勤務の多さを解決するために医局員とディスカッションを重ね、次のような施策を考えました。
・救急外来から搬送患者への血糖コントロール要請があまりにも多いため、地域に働きかけてできる限り救急外来を受診する糖尿病患者を減らす
・医局員から看護師・薬剤師・管理栄養士といったコメディカルスタッフへのタスクシフトを行う
結果として両方で成果を出すことが出来、定時退社と地域連携がスムーズになり、売り上げも伸びたということです。
ここで以下のように述べられています。
現場の声を聴かずに経営会議で決まった「机上の空論」を押し付けても、現場が混乱するだけで改革はうまく前には進んでくれません。「残業を減らしたい」「ここさえ改善できれば」などと思っている現場の声をきちんと拾い上げて、そのフィードバックをもとに方針を立てていけば、「医師の働き方改革」を進める道は自然と開けてくる
目指すビジョンや目標がはっきりすることによって、それらに対する課題の優先順位が明確になり、さらに、一つひとつの施策の精度が高まっていくことにもつながりました。こうして打ち出した施策は、「机上の空論」でなく、様々な現場の声を拾い上げた施策であったため、いずれも無駄なく的確に業務改善に結びついていくこととなっていきました。
コーチングで病院が変わった 目に見えない道具で「医師の働き方改革」は進化する 佐藤文彦著 ディスカバー 図4-1 コミュニケーションによる違い より引用
まとめ
組織マネジメントに苦しむ院長先生には多く出会ってきましたが、多くの場合、院長と現場スタッフのコミュニケーション不足が原因でした。
コミュニケーションとひとくくりで言っても、単に話す時間を作るということから、コーチングという深いところまで取り組むのとでは意味合いが大きく異なります。
自院のビジョンや方針を明確にして、コーチングにより職員の自己効力感を高めながらビジョン・方針に従って自主的に動いてもらうことで、職員のエンゲージメントは高くなります。
エンゲージメントの高い職場では一般的に医療の質が向上するとされています。
コーチングは科学的に根拠のある手法です。より良い医療経営を実現するための1つのツールとしてコーチングは試してみる価値があるものと思われます。
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